倫理学 [英: ethics] (通例単数扱い)
学問としてのethicsとは、哲学の一部門として、人間のよい生き方を問い、それを吟味する学問である。その場合、一般的に以下の3点が問題の中心となる。①「善」と「悪」という概念は何を意味するのか。②事物の善悪を判断する正しい基準は何であるのか。③善悪の判断は、価値中立的事物の判断とどのように異なるのか。この学問探究が依拠する方法としては、歴史的に存在してきた諸々の倫理(道徳)や、同時代の諸社会に多様に存在する倫理(道徳)を比較研究しながら、それぞれの時代状況や社会状況にとってよりよい倫理(道徳)を探究することが通例である。個別のケースごとに何が善であるかを判断することは、それほどむずかしいことではないが、個々に善であるものが相互に対立することもあるので、「善とは何か」という問いは、おのずと「普遍的な善とは何か」という問いへと深まらざるを得ない。これについて安易に神に依拠することを避けたカント(Kant、I)は、無条件で善であるとみなされるものは、人間に本性的に備わっていて、内発的に働くものである「善意志」(善意)に他ならないとした。これは、ただ善だけを意志するものであり、そのようなものであることによって、それ自体で善なるものである、という。20世紀イギリスの倫理学者ムーア(Moore、G. E.)は、善は定義不可能なものであり、何が善であるかは直覚によってのみ把握されると考えた。さて、世界観および価値観の多様化、ならびに科学技術の進歩などによって人間の活動が複雑になっている現代社会では、倫理学も個別化することで、多様な倫理的要請に対応することが求められている。その結果として、「環境倫理学」「生命倫理学」「医療倫理学」等の応用倫理学と称される分野が確立されつつある。(八巻和彦)
カント, I. (Kant, Immanuel [1724-1804])
ドイツに生まれた近代哲学における巨人。形而上学的独断論を排し、理性という能力によって、人間の外界および内界をいかに客観的に正しく認識できるかを解明するために、「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」という三批判書を著した。彼の倫理学は「実践理性批判」を中心に展開されている。当時勃興しつつあった近代科学によって、必然的なものとして働く自然法則が自然界には存在することが明らかになっていたが、もしその自然法則が人間の生の総体にも貫かれているのであれば、人間には自由が存在しないことになる。そうであれば、倫理的責任の問題も生じないことになる。しかしカントは、理性をもつ人間は、自然法則に従って生きるだけではなく、自由に生きることもできるのであり、そうでなければならないと考えた。これを可能とする構造として彼が考えたのは、人間の実践理性が、定言命法としての道徳律を人間自身に課し、それを人間が自ら実 行するという形式である。自らが自らに課したものを実行することは、自然法則のような他者によって縛られることとは異なり自発的な行為であるから、ここに自由が確保されているとするのである。この道徳律には、「同時に普遍的法則となることを意志しうるような格率 (行動原則) に従ってのみ行為せよ」というものと「汝の人格および他の人格の内なる人間性を、単に手段としてではなく、常に同時に目的として扱うように行為せよ」というものの2つがある。両者とも一切の判断を入れずに無条件で従うべき命法とされている。ここからカントの倫理学は厳格主義 (Rigorism)といわれる。(八巻和彦)
義務論 [英: deontology]
カント(Kant, L.)が唱えた倫理学説。カントは「刑務所に入りたくなかったら、人を殺すな」というような条件付の命令である仮言命法を否定した。それは仮言命法がその目的を承認する者にのみ有効であり、普遍的妥当性をもたないからである。カントによると全ての人間が無条件に従うべき普遍性をもった道徳律は定言命法であり、他の目的や結果のためでなく、その道徳法自身を目的として守られるべきもので、端的に「―なすべし」「―せよ」といった形式をとるものとされる。また、普遍化可能性の原則として「汝の行動の格律が一般的律法の原則となりうるごとく行動せよ」と、道徳法則は義務としてなされなければならないとした。「汝の人格や他のあらゆる人の人格のうちにある人間性を、常に同時に目的として取り扱い、決して単に手段としてのみ取り扱わないように行為せよ」とされる人間性の原則も義務とされている。
カントの義務論の問題点としては、理想主義的すぎて現実に応用できないという点や人を助けるためにも嘘をついてはいけないという厳格主義に反して「結果よければ全てよし」ではいけないのかという批判がある。(中谷常二)
経営倫理 [英 business ethics]
世の中には数多くの種類の組織体がある。政府 (中央・地方) 企業 (各業種大中小) 医療機関 (大中小病院)、NGO、NPOなどのあらゆる組織はそれぞれが有する一定の目的にもとづき活動する人間の集団であり、その組織の運営を通じてそれぞれの目的を効果的に実現することが求められている。したがって組織体にとっては効率的な運営が求められるが、同時に社会的な存在として他者との関係において迷惑をかけたり自由な競争を阻害することは許されない。こうした組織体の運営にとって必要な考え方やその実践を特に強調するのが経営倫理である。
19世紀から20世紀中頃過ぎまで続いてきた旧来の工業化社会においては組織体の効率と競争が特に重視されてきたが、今後のポストモダン社会における組織体は人間性や社会性をも併せて重視する新しい価値観に立脚した組織運営が強く求められている。つまり経 営倫理の必要性である。とかく経営倫理について誤解されやすいのは、倫理を重視すると効率や競争が軽視ないし無視されそれぞれの組織体の目的の実現に支障をきたすおそれがあるとする考え方である。しかしいかなる組織体も社会の中で生き、活かされている存在であるという現実の基本認識からすれば、人間 (未来の人類も含む) や社会に迷惑をかけないようにするだけでなく、その発展に貢献できる公正で透明性の高い組織体でなければならないといえよう。(水谷雅一)
経営倫理学 [英: business ethics]
経営倫理とは、企業のみならず、非営利組織などを含めた組織一般の経営にかかわる倫理であり、経営倫理学は、人間の共同体としての組織体の運営にかかわる善悪 (good or bad) 正邪 (right or wrong) すなわち倫理を研究対象とする倫理学の一分野である。そうした経営倫理学に関する体系をまず物事の根本を探究する学問としての哲学からはじめると、次図のようになるであろう。哲学の一部門としての一般倫理学は、例えば何が正義かを研究するが、経営倫理学は、そうした一般倫理学の研究成果を経営の分野に適用する——例えば公正な賃金とは何かを研究する——応用倫理学に分類される。また、経営倫理学は、直接に個人倫理を研究するのではなく、人々の集合体としての組織の倫理を研究するため、組織倫理学 (organizational ethics)ともいえる。研究対象が企業の場合、「個人企業をふくめた企業組織を研究対象とした経営倫理学」すなわち企業倫理学となる。NPO倫理の研究であれば 「非営利組織の経営倫理学」となる。ただ、ボウィ (Bowie、N.E.、with P. H. Werhane) 著 Manage- ment Ethics (2005)によれば、マネジメントエシックスは「マネジャー (経営管理者)の倫理学」であり、それに対して、ビジネス・エシックスは、経営管理者ばかりでなく一般社員の行動をも研究するビジネス全般の倫理学である。その場合、マネジメントエシックスは、マーケティング・エシッ クスなどと並んで、ビジネス・エシックスの1部門である。また、経営倫理学は経営・組織体を研究対象とするために経営学や社会学などと密接な関係をもつ学際的学問である。(小林俊治)
経営理念 [英: managerial philosophy]
経営哲学(philosophy of management)ともいわれる。経営の根本は経営者の精神構造、指導理念である。企業経営の指導理念 (広義の企業理念、経営理念)は、経営者の宇宙観と人間観、社会観と倫理観、人生観と職業観を基礎にした企業観や事業観や経営観に根ざした経営哲学である。指導理念には、「道徳の理念」と「経済の理念」が貫かれている。今日にいう真の指導理念は、旧来の社是・社訓のような会社の社長ないし経営者が、社員に対して上から与える単なる業務心得ではない、社長ないし経営者たちが自分自身として抱懐し、自分自身に対して責任をもち、従業員や社会からの共感と信頼が得られる理念であり、哲学である。それは、社の内外にたいして宣明し、天地神明に誓って誓約するものでなくてはならない。今日では、指導理念をさらに実践的に具体化した行動規範としての行動憲章、行動指針を内外に表明、誓約し、責任をもって実践することが要請されている。ところで、企業経営の指導理念 (広義の企業理念)は、企業観に根ざした企業の本質と存在意義、目的・使命についての考え方(企業とは何か。企業は誰のものか、企業は何のために、誰のために存在するのか、企業が社会に対して何ができるか)を示した「企業理念」事業観に根ざした産業人の使命、事業の目的・使命、事業領域、事業の思想と行動についての「事業理念」、経営観に根ざした経営のやり方についての経営態度や姿勢(経営者としての信念、信条、経営のやり方の価値基準)を示した「経営理念」(狭義の経営理念)、これらの理念を実践的に具体化した行動規範や倫理基準を示した「行動理念・指針」を含んでいる。それらの指導理念は、階層をなし、相互に関連し、すべてに「経済の理念」と「道徳の理念」、経済性、人間性、社会性がビルトインされている。日本の会社では、このような指導理念は、社是・社訓類や企業行動憲章などで示されている。(福留民夫)
経営倫理士[英: certified business ethics ex- pert = CBEE]
わが国企業社会で経営倫理の必要性が唱えられはじめたのは1990年代に入ってからであるが、その後も企業絡みの不祥事が陸続として発生している。それだけにその防止や抑止などのために経営倫理の導入と定着化の必要性がますます増大している。経済のグローバル化の進展に伴い、今や企業が持続的発展をするためには経営倫理が不可欠の時代である。
したがって経営倫理(含CSR)の専門家が企業にとって必要性を増してきたのは時代の当然の成行きである。それに応えうるのは 「経営倫理士」という全く新しい資格を有する専門家である。わが国初の経営倫理の企業向け啓発普及団体である経営倫理実践研究センター(BERC)の発足の頃からBERCや日本経営倫理学会 (JABES)の支援の下で経営倫理実践普及協議会 (BEPA)がこの経営倫理士の養成講座と資格授与を開始した。経営倫理に関する理論と実際を体系的に修得する1年間の講座を受講し、その最終テストに合格した者に資格が附与される。すでに1社で10名内外の経営倫理士が存在し、その専門的知見を活用して会社の持続的発展に貢献している企業もある。やがては社内弁護士や社内税理士などと同じように、経営倫理士が企業にとって不可欠の時代がくることが期待されている。
(水谷雅一)